柳本 博
【略歴】柳本 博 昭和58年、中央大学文学部卒。在学中、演劇研究会に所属し、卒業後は獨協高等学校の国語教師に。演劇部の顧問として高校生演劇の指導者となる一方、つかこうへい劇団などで役者としても活躍。平成23年、映画「行け!男子高校演劇部」のモデルとなる。著書「こもれびの中で/三分間天使―つかこうへい事務所 シアターX『MEN’S WORK』戯曲集」(共著。青雲書房)
白門58会主催記念講演会
演劇界での中央大学OBの活躍~丹波哲郎から阿部寛まで
白門58会は、昨年2012年7月21日に総会、記念講演会を開催しました。記念講演会での講師は、昭和58年卒業の、柳本 博氏にお願いしました。テーマは「演劇界での中央大学OBの活躍~丹波哲郎から阿部寛まで」。つかこうへい氏についての話を中心に、阿部寛氏とのエピソードなどを語っていただきました。
卒業以来30年近く経つが、同期生とも連絡も取らず不義理をしていた。その反省も込めて今回講師を引き受けた。
大学卒業後、獨協高校の教員となり、演劇部顧問として、また演劇に関わることとなった。その中で、つかこうへい氏に出会った。「北区つかこうへい劇団」の旗揚げにも関わり、役者・戯曲の勉強をさせてもらった。1993年つかこうへい作・演出の「熱海殺人事件」を阿部寛主演で上演しようということになり、阿部寛氏とも知り合った。劇中、主人公が客席に降り、観客の一人を捕まえて無理やり唇を奪うというシーンがあり、その仕込みとして阿部氏とキスシーンを幾度となく演じる破目に。その芝居を作り上げる過程で、阿部氏と断続的に2、3カ月つき合った。
阿部氏は最初、演技が下手だった。それが、つか氏の「どうせお前は自分の身体にしか興味がないんだから、そこを見てから始めろ」との言葉の下、姿見に映った自分の身体を見てから芝居を始めるという方法をとることで、ガラッと変わり、非常に上手く、面白くなった。つか氏の演出方法は“口立て”で台本が無く、つか氏の言葉を役者が鸚鵡返しで叫んでいき、だんだん芝居が出来上がるというもの。日々変わり、役者によって変わる。素晴らしいパッションとエネルギーで役者を煽り、役者は必死でそれに喰らいついていく。自分も生徒に対し、「いろいろと装って生きてしまう現代、殻を脱ぎ捨て、纏っている物を取り去っていくことが舞台の上では大切だ。その為にまず服を脱いでみよう」というふうなことを言い、芝居を創っている。阿部氏の場合、つか氏演出のその辺が上手く作用したのではないか。
在日韓国人であるつか氏は、いじめられた経験があり、「いつか公平にしてやろう」という意味を込めて“つかこうへい”というペンネームをつけた。虐げられた者がある時、大きな力を発揮する。普通の人間が持っているパワー、エネルギーが集約される瞬間を表現していたのではないか。若くして亡くなったのは大変残念。
中央大学OBの演劇界での活躍ということでいうと、丹波哲郎、小松方正、古谷一行、近いところでは、上川隆也、加瀬亮らがいるがあまり詳しくない。「北区つかこうへい劇団」にいた逸見輝羊(へんみてるよし)は中大出身で、つか氏亡き後「北区AKT STAGE」という劇団を旗揚げした。この名はアフター・コウヘイ・ツカと、アット北区の二つの意味を掛けている。中央大学付属高校も今、高校演劇で活躍中で、中大杉並はソウル公演などもしている。けれども、演劇界での中大出身者はあまり多くない。硬い職業の人、演劇絡みで会う役所の職員などに中大出身者が多い。
演劇界での中大OBの活躍ということにはそぐわない内容になってしまったが、自分としては高校演劇の活動を通して、つか氏から学んだことも含めつつ、演劇の素晴らしさをこれからも伝えていきたいと思っている。 (要旨。文責・編集担当)
(会報5号掲載「2012年度の活動報告」より)