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宗澤 寛(昭和59年法学部政治学科卒)

【略歴】むねさわ・ゆたか 1959年、岡山県生まれ。84年、中央大学法学部政治学科を卒業し、時事通信社に入社。2006年、上海支局特派員となり08年上海支局長に。13年松山支局長、16年名古屋支社次長を経て17年総合メディア局総務兼国際事業部長。19年に退社。現在は長年の目標である起業(講演、中国語翻訳、桃栽培など)に向けて準備中。

寄稿

定年退職を機に挑んだお遍路1,700キロを歩き通して得たもの

この道で合っているか、予約した宿に今日中に辿り着けるか、マムシに噛まれないか、足は大丈夫か、水分は確保できるか、この暑さ(雨)はいつまで続くのか。たくさんの不安を抱えつつ前へ進む日々。還暦を機に私が挑んだ総行程1,700キロの歩き遍路の旅は、人生そのものだった。

人生を振り返り、再生させる旅へ
人生を振り返り、再生させる旅へ

四国の自然のなかで霊場を廻りながら今までの人生を振り返りたい、そしてこれからの人生を模索し再生したい、という強い思い。家族の理解も得た。数か月はかかるので、費用、時間、体力を考えると定年で退職するタイミングしかないと踏み切った。

四国八十八か所霊場と別格二十霊場、結願(全ての札所を廻りきること)のお礼参りに高野山奥の院と金剛峯寺、高野山の麓の慈尊院、京都の東寺の計百十二の寺を一度に廻る。一日平均25キロを80日近く歩き通した。荷物は15キロ。不安、肉体的苦痛との戦いだったが一方で楽しく、歩きお参りするだけの日々。今から思えばなんと幸福な時間だったか。

昨年5月から8月にかけて四国と高野山、京都を巡礼した私の体験が、いささかでもご同輩の58会の皆様のお役に立つことがあれば幸甚だと存じ、寄稿させていただいた。

増え続ける外国人お遍路さん

今回の遍路で私は、フランス、デンマーク、イタリア、韓国、香港、台湾からのお遍路と交流した。

巡礼の道というと世界遺産でもあるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラが有名だが、四国八十八か所巡礼と姉妹縁組を結んだこともあり、ヨーロッパでも遍路が知られるようになった。今は歩き遍路の2割は外国人との統計もある。

坂が多く厳しい遍路道

遍路道は空海が修行で歩いただけに、足元が悪く急峻な坂道が多い。肉体的にはかなり辛い。海辺、深い山中、里山、街中など様々。いろいろな道程があり、どのコースでいくのかは自分で決める。

最古の遍路道は徳島県の加茂道で、約700年前に作られたそうな。私も歩いたが、急峻な岩場で歩きにくい。病気が治ることを祈りつつ願い叶わず道中で亡くなったお遍路の墓標が、今も遍路道に多く残されている。

宿での語らいが旅の味わいを増す
宿での語らいが旅の味わいを増す

私は計81の宿に泊まったが、いい宿の確保は遍路にとっては最も重要。宿に迷惑をかけないよう、進行できる距離を確認のうえ前日に予約した。清潔か、食事は美味いか、宿の人は親切か、洗濯はできるか。全て初めて泊まるので毎日が賭け。旅館、民宿、民泊、ユースホステル、ビジネスホテル、ゲストハウス、宿坊、ロッジなどほとんどの形態の宿に泊まった。

今回の宿泊費用は、一泊1,000円から11,000円までだった。いわゆる遍路宿と言われる旅館と民宿では、一泊二食付きで6,500円から7,500円。宿坊もだいたいこの範囲だ。素泊りのゲストハウスは3,000円代というところ。1,000円の例は、京都御所に近いゲストハウス。ドミトリータイプだったので特に安かったが、清潔でシャワーも24時間可能。食パンやコーヒーなどはフリーで提供していた。私が宿泊したときはフランス人が多く、日本人は1割という感じ。

私が歩いた時期は梅雨や台風、酷暑の時期だったので、客は私1人という宿が多く、大事にしてくれた。宿のご主人や女将さんと食事の際によく話し込んだが、土地の歴史や事情、女将さんの半生などがとても興味深く、実に味わい深い体験だった。ただ、跡継ぎ不足や景気の悪化による遍路の減少で、古い旅館や民宿は経営的に厳しく閉業するところも増えている。

ノーベル賞ものの「足のマメ」治療法
ノーベル賞ものの「足のマメ」治療法

徳島市街に入ったあたり、歩き始めて5日目ぐらいから足に水膨れができ始め、小松島市の立江寺近くの遍路宿「鮒の里」宿泊時には3つできていた。この民宿の主人は元お遍路で、自分の別荘を兼ねて遍路宿を運営。マメの治療のプロでもあり、年間300人直すという。そういうこととは露知らず、夕食の際に「足のマメが痛くて」とこぼしたら、女将さんが「大将に直してもらったら」。夕食後、同宿の70歳の女性遍路と一緒に治療してもらった。

ライターで先を熱した針に糸を通し、糸ごと消毒液(ヨードチンキ)につけてから水膨れに刺す。水が出たところで水膨れの中を針で通し、はみ出た両端の糸を切り落とす。消毒した糸は水膨れの中に残したまま、上からバンドエイドを貼って完了。「一晩で治る」とのこと。本当に一晩で治った。施術を受けたインターンの遍路がこの方法を病院の上司に報告したところ、「ノーベル賞ものだ」と言われたという。

「鮒の里」の大将によれば、この方法は戦前の軍隊の治療方法で、訓練のときにできたマメをこうして治していたという。私も、高知の遍路宿でマメに苦しむ看護師の男性にこの治療法を伝授した。

マメが理由で途中脱落する遍路もいる。早い時期に治療のプロに出会えたことは幸運だった。

自然豊かな遍路道で、多種多様な動物と遭遇
自然豊かな遍路道で、多種多様な動物と遭遇

外国人遍路は、「四国は川の水が綺麗で、動物や植物がとても身近で豊富」と驚く。韓国人の遍路は、「山中では木々が大きく鬱蒼として怖いぐらい」と話す。私も、熊とキツネ以外の動物とは遭遇した。猪、鹿、テン、猿、狸。あと頻繁に出てくるのが蛇と巨大ミミズ。

マムシも多く、高野山の空海が開いた古代遍路道では10匹ぐらいが道の真ん中でたむろしており、崖を登って迂回するしかなかった。徳島の山中で出会った青大将は、杖で突いて威嚇しても向かってくるので閉口した。愛媛の柏坂という遍路道で土砂降りのなか坂を登っていると、上から見たことのない獣が走ってきた。テンだった。そのあと鹿一家に遭遇。

お遍路中の生活パターン
お遍路中の生活パターン

朝5時頃起床。6時から食事し、7時頃出発。昼は山中を歩くことが多く、食事できないことも多々あった。たまにおにぎりやカロリーメイトをお接待でくれる宿もあったが、私が歩いた時期は食物が痛みやすく、食中毒を怖れて宿が弁当を持たせてくれなかった。

一日にだいたい25~35キロ歩いて午後5時頃に宿へ着く。風呂、洗濯をして6時から食事。終わると明日のコースを確認して、次の宿の手配をする。それから家族や知人へメールをして就寝。

疲れた体に沁みる「自分へのご褒美」

遍路初日に炎天下のなか、標高450メートルにある別格霊場一番の大山寺への参拝など30キロ以上を歩いた。ヘロヘロに疲れたが、安楽寺の宿坊で夕食のときに飲んだビールと日本酒が体に沁みる美味しさだった。

これ以降、自分へのご褒美として毎晩ビール大瓶1本と地酒2合から3合を飲んだ。今回の遍路で81泊したので、ビール大瓶81本、日本酒は一升瓶で18本飲んだことになる。毎日運動しているからか朝はすっきり、日中もいっさいアルコールの影響はなかった。逆に、食事だけでは足りないエネルギーと栄養を供給してくれていたように思う(朝6時に食べる朝食はかなりの分量だが、9時頃にはだいたい空腹になった)。

今も心に残る「お接待」
今も心に残る「お接待」

「お接待」とは、遍路をしている人に地元の方々が食べ物やお賽銭を無償で提供することをいう。お遍路さんは弘法大師の化身という考えがあり、お接待は遍路のためだけでなく自分自身のご利益にもなる。

私も多くの接待を受けた。最初のお接待は、徳島の童学寺へ行く途中、50代らしき女性が車を止めて飴などを私に手渡し、「大日寺の奥の院のお不動にお参りすれば必ず難病が治る。困ったらそこへ行けば」と教えてくれた。恩山寺から立江寺への途中では、50代の男性が「お遍路さん!」と私を呼び、車から降りて「立江寺に縁があるものです」と言って小銭が入った財布をくれた。

日和佐海岸のおばあちゃんたちのお接待所では、お茶やお菓子のほか古着で作ったきんちゃくをもらった。郷照寺近くの遍路道にある多度津のお接待所では、気さくな60代の女性からカップヌードルをごちそうになり、赤ちゃんをおぶった可愛い若いお母さんに飴をいただいた。

大滝寺へ行く途中のレストラン「Toitoko(とおいとこ)」でイノシシの肉野菜料理を食べたところ、アイスコーヒーを無料にしてくれた。金山出石寺内の食堂で出石寺うどんを2杯(1杯は大盛り)食べてホットコーヒーを頼んだら、ホットコーヒーは接待してくれた。久礼から岩本寺に向かう途中、道沿いの接待所で冷えたペットボトルのお茶をもらった。炎天下で辛かったのでありがたかった。

香南市のアジサイ祭りに寄ったら、前日泊まったゲストハウス「美薗」の女主人と再会し、その知り合いのおばあちゃんから300円をもらった。中央大学38組の同級生だった門脇護君(作家・門田隆将)の紹介で面会した高知新聞記者さんからはカツオのたたきをお接待、同じく門脇護君紹介の高知城下にある有名書店の金高堂社長夫人からお菓子や飲み物を接待していただくなど、この旅では無数のお接待を受けた。感謝、感謝の日々だった。

山野を歩くことがデトックスに

わずか1メートルずつでも、一歩を繋げれば1,700キロになる。人間が本来持っている力を再認識した。

平坦なアスファルトの歴史はまだわずかで、人類は坂道の多い地面や草むらを歩いていたはず。遍路道はこうした道が多く肉体的には厳しかったが、本来の姿に戻っていくようで、歩き終わったら爽快感に包まれた。デトックス。無駄な水分や老廃物が出て行った。精神面もそうだった。

都市の生活では限定された動きしかしていない。山野を歩くことで、私たちが本来持っている力を取り戻せるのではないか。

国籍も年齢も異なるお遍路たちと交流
国籍も年齢も異なるお遍路たちと交流

安楽寺の宿坊で知り合った陸上自衛隊出身の夫と奥さん。札幌から来ているという。夫の年齢と出身地が私と同じということが分かり、和んだ。パリから来たフランス人女性のアリスは、吉野川の土手で道を尋ねられ、一緒に藤井寺で参拝した。納札(札所でお参りした証しとして納める。遍路同志が自己紹介を兼ねて渡すこともある)を交換し、「(私が)デ・コンポステーラに来るときにパリで会いましょう」と約束した。

徳島の海辺の遍路宿で会った大阪から来た40代女性は、思うところがあって遍路へ出たという。結願後、この女性が営む料理屋で再会した。お祝いにと用意してくれた地酒で痛飲。人生の妙味を感じた。静岡県菊川から来た好青年。札所や遍路宿でたびたび遭遇し、雲辺寺の登り口で写真を撮り合って別れた。

台湾の僧とは高知の宇佐の民泊で同宿。テレビドラマで日本語を覚えたという。韓国からの男性のお遍路とは愛媛の山中の遍路宿で二泊三日食事しながら語り合った。

徳島の霊前寺へのお礼参りのあとJR坂東駅で会った75歳の男性遍路は、3回目の歩き遍路。岩屋寺への山中で平家の落武者の霊と遭遇したという。一緒に高野山へ向かった。岩屋寺から宿への帰路で出会った私と同い年のお遍路は、石川県の人。予定している再就職までに結願しないといけないと急いでいた。

善通寺の宿坊で会った長野から来た70歳の女性は、初めての遍路でわくわく。一週間で行けるところまで行くと張り切っていた。奈良から来た男性遍路とは、善通寺の朝6時のお勤めで2日一緒に納経した。

安楽寺の宿坊で会った富山県からの65歳の男性遍路。空海の鉱山開発の話で盛り上がった。空海の本名である佐伯姓は富山にもあるらしい。「60歳で見る人生の風景と65歳で見る風景は違う。あなたがうらやましい」と語っていた。高野山の麓の九度山の旅館で同宿になった男性遍路は、西国三十三ヵ所巡りの初日。車にバイクを載せて廻るというスタイルだった。近くの天然温泉で共に体を癒した。私の出身地である岡山で中学校の教諭をしているという。

世界中のお遍路仲間がSNSで繋がる
世界中のお遍路仲間がSNSで繋がる

Facebookには遍路仲間のグループが数多くある。私も、ある遍路宿の紹介などで4つのグループに入っているが、その1つの主宰者は60代のオランダ人女性。もう5回歩きで霊場を廻っている。

英語で入会審査があり、私も遍路中に自分のプロフィールとコメント、あと写真を送り入会を認められた。世界中で約1,400人が参加しているという。日々誰かが四国八十八か所を廻っているので、遍路の貴重な最新情報が得られる。

郵便局も巡れば、人と風土の理解度アップ
郵便局も巡れば、人と風土の理解度アップ

遍路経験のある高校の大先輩から教えてもらった。遍路中に郵便局を見かけたら1,000円預け入れをして、通帳にその郵便局オリジナルのスタンプを押してもらう。入金なので9時から16時まで、土日祝祭日以外という条件ではあったが、64の郵便局で預け入れができた。その土地を訪れた軌跡になる。

簡易郵便局は局員が1人で運営しており、お茶を出してくれたり、お菓子をくれたり、地元のことを教えてくれたりと実に親切。地元のお年寄りの集会所のような機能もあるため、いろいろなところで地元の人と交流できた。

郵便局巡りは、その土地の人や風土を理解することに大きく貢献し、旅に深みをもたらしてくれた。これから遍路をする方には、ぜひお勧めしたい。

還暦での遍路を終えて

遍路は自分の心と体に向き合う旅。自然のなかで宇宙の摂理を感じる旅。今遍路を終えてそう思う。

暑さと疲労で意識が朦朧となることもあったが、四国の美しい山海の風景や道端で咲く花たちが癒してくれた。苦しいときはスマホでチューリップやオフコース、松任谷由実が荒井由実だった時代の懐かしい曲を聞いた。心も体も軽くなり、音楽の力にも助けられた。こうした体験すべてがお遍路なのだろう。

(会報11号掲載「寄稿」より)

最後に寄稿の機会を与えていただいた中川順一事務局長と執行部の皆様に御礼を申し上げると共に、58会のますますの盛会をお祈り申し上げます。

「茅ヶ崎夕陽美術館」と題した弊ブログに、歩き遍路の行程をアップしています。ご興味があれば、お時間のあるときにご高覧いただける と幸いです。

▶︎こちらより https://chigasakisunset.com/

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