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白門58会通信
本欄は、2010年4月からブログに引っ越しました。

準備会運営過程でのさまざまな出来事のメモです。投稿をお待ちしています。
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2008年10月26日 ホームカミングデーに参加
今年は卒業25年目。久野修慈理事長に写真をお願いしたところ、快く受けてくださいました。(写真中央の緑の背広の年配の方……と言っても、我々もそろそろ50歳だが)


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2004年12月13日 内山 勢(経済学部経済学科卒)
白門58会(仮称)事務局様

 昨年、卒業してそれこそ20年ぶりに、仕事で多摩キャンパスに行きました。白亜の校舎はややくすんでいましたが、女子学生が多くなったせいか、にぎやかでした。 20年ぶりにヒルトップに立ち寄り、学生に戻ったような気分でした。 >  ゼミのOB会にもあまり参加しておりませんが、キャンパスに触れて、学部を超えた横のつながりの会もいいと思いました。 10月から名古屋に転勤し、設立準備会にはなかなか参加できないかもしれま んが、名古屋に同窓がいたら、58会の名古屋支部のお手伝いぐらいはできるかもしれ ません。 皆様のご健勝をお祈り致します。

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2004年12月5日 幹事M.K
(文学部国文学専攻卒)
12月4日多摩校舎で忘年会
20年ぶりに学食でランチをいただきました 四季はもとの樹林の後にできた和風のお店 460円でこんなに豪華なんて 感動しかし何でおばさんがここにいるのよという後輩女子大生の視線 思えば20年前、私もそういう目でおばさんを見ていました。

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2004年10月27日 幹事M.K
(文学部国文学専攻卒)
10月24日第15回ホームカミングデーご報告
卒業生向け大学祭という感じでした。 午前10時9号館でのセレモニーから始まり講演会、音楽会、抽選会、寄席、  模擬店などいろいろにぎやかで充分楽しめます。久々の母校は樹木が生い茂り森の香りがしました。木々も成長を続けています。58会からは新規会員5名の方を含めて17名が参加  なつかしい1階生協前でお食事をしました。高木ブー先輩のバンド演奏と美声が印象的でした。

10月24日第15回ホームカミングデー スナップ・アルバム (撮影/幹事・中川)

最近の学生諸君は、こんな恥ずかしい電車に乗せらている。(京王線)

昔に比べて緑が濃くなった。校舎は汚れた。

懐かしい生協の前で会食。有料携帯充電器なんかも、ありやがんの。

恩師と再会。

高木先輩!(右端)

かつての美人女子大生!お黙りッ!

慕い集える若人も、ただのオッサン。

子連れ参加者1組、子は留守番2組。女房子供に内緒2組。

80代のOB(後姿)より、「人生」を拝聴させていただく。

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2004年9月27日 幹事M.K(文学部国文学専攻卒)
9月25日バーベキューパーティー報告
 9月25日昭和記念公園でバーベキュー大会を実施しました。お子様も含めて15名の方が参加。楽しい時間を過ごしました。予報では曇り時々雨でしたが当日は昼になると青空が広がりお天気に恵まれました。
 緑の自然公園の中バーベキュー会場の隣ではオレンジ色のコスモスが花を咲かせサッカー場ではフットサルの試合が行なわれていました。野外で火をおこしYさんご持参の天然アユを焼いたり。
もちろんバーベキューもヤキソバも。野外でみんなで集まって食事をすると楽しいですね。最後に昭和記念公園緑豊かな綺麗な公園でした。お散歩されるにもおすすめです。まずはご報告まで。

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2004年6月14日 中川 順一
(文学部国文学専攻卒)
リンクをはろう
 学生時代は、毎日サークル室に入り浸っていた。そう言えば、サークル棟って、何号館だったっけ。 当時「仮執行時代」というやつで、部屋があるサークルと雑居房(!)のサークルと、生協のテーブルを陣取るサークルとの間でいろいろ口論したこともあった(ムキになれた時代が懐かしい)。 毎日学校に行くけど、講義には出ない。ある日、クラスの可愛い女の子が、友達に聞いた。「彼って、体育会なの?。毎日学校で見るけど、教室で見たことない」だと。 こんな軟弱な体育会が、いるはずはない。
 未知の同期生から、「リンクをしてあげたよ」とメールが来ました。
「リンク先は、何とここです→ http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/1460/」とのこと。
 関係サイトへのリンクを、どんどん進めたいと思います。

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2004年5月10日 長谷川 忠(経済学部卒)
なつかしの何となくクリスタル的カレッジディズ
 昨日の日本経済新聞の夕刊のコラム欄を読むと、四十代の主婦達が、グループで横浜の元町に買い物に来ているそうです。
 そういえば、自分達の学生時代は、ハマトラ、ニュートラの女子大生ファッション全盛期であった。ハマトラとは、横ハマトラディショナルの略語であり、ポロシャツ、巻きスカート、キタムラのバッグ、ミハマのローファーの靴で容姿を固め、女子大生がキャンパスを闊歩していた時期である。
 元々、このファッションは、フェリス女学院大学が発祥の地であると噂されています。男子は、一点豪華主義のエレッセ、フィラのポロシャツに、下はコッパン又はジーンズで、靴は、ヨットにも乗らないくせに、デッキシューズというスタイルだったね。  後、冬になると、男子は、ウエスタン・ブーツ、女子はジーンズの足元にレッグウォーマーをしっかり着けていたっけ。  ああ、それとスキーウェアについて一言言わせてもうと、リバティベルを着ている奴が多かった。昔のリバティベルは、色がちょっと黄色っぽくて、今のリバティベルは、白っぽくて、何かモドキっぽい感じがする。愛読書は、女の子が「JJ」「cancam」「オリーブ」、男の子は「ポパイ」「ダカーポ」が必読書であり、アングル、ぴあは、男女共によんでいたよね。「杉森君のオレンジ色の憎い奴、中大パンチ」もあったね。
 当時、生協の中に「ミニブティック・ちゃお」があり、そこでなけなしのお金をはたいて、イヤリングを買い、市ヶ谷のある女子大の子にあげたっけ。お互い、卒業後、別れたけど、今じゃ、立派に主婦してるって風の噂に聞いたよ。
 今、パパイヤ鈴木が、七十年代のディスコ音楽を取り上げ、四十代、五十代がディスコに回帰しているそうだ。  僕等の頃は、新宿だと、カンタベリーハウス、ギリシア館、ビバ館で踊り、渋谷だとスターウッズ、ちょっと遠出して六本木のロアビルに行ってみると、ギゼ、ネペンタ、レキシントンクィーン、マジックで踊っていたっけ。ロボットダンスもはやっていたし、飲物は、サントリーのトリス、ハンバーグを食べて口元にケチャップをつけている奴、チークタイムしか踊らない奴もいたっけ。今、彼等は、どうしているのかな。
 大学三年の夏に、伊豆の式根島に遊びに行った時、かかっていた曲がクィンシージョーンズの愛のコリーダ、今だに良く聞いている曲だね。女の子は、ボズ・スキャングスかな。当時の曲は、いい曲が多いと思う。
 ここで、合コンについても話しておきたい。学生時代、語学の授業の前に、よく夜間部の民青系の人が入って来て、しきりに文学部の女の子との合コンを進めていましたが、自分等は完全に無視してしまった。
 当時、平凡パンチで、中大は駿河台時代は、女子大生にモテモテだったが、八王子に移転してから、学生同士の週末同棲が進み、筑波大学の様に自給自足大学になってしまったと嘆きの声が寄せられる事が多かった。
 自分が、合コンに出て一番ショックだった事は、目黒にあるS野女子大生から、中大の人は、ディバックを両肩から通しているファッションの人が多い。ジーンズに革靴、中大のネズミのロゴが入ったバッグを両端が擦り切れているため、セロハンテープでとめて持っている人がいる。おとなしくて、地方の国立大学生の様との指摘があった。
 文学部を含め、他学部の女子学生は、他大学との合コンに出席していた人がいたのか教えて欲しい。
 後、ダンパについて話をしますと、会場は、大手町の産経ホールが多かったのではないかと思います。ここで言っておきますが、来場者の七割は、社交ダンスが踊れません。又ダンスフロアが暗いため、美人だと思って、外に出し、飲み物を一緒に飲もうとすると、とんでもない人とわかり、一目散に又、会場に戻った事もあります。自分の場合は、舞踊研に友達、早稲田の商学部に友達がいたため、簡単なレッスンをしてもらいました。  当時は、女の子の電話番号を聞く事は、自分の社交性を磨く事だと思っていました。
 それと、学園祭について言えば、昨今、明大とのジョイント・サークルが多い様に思われます。私達の時は、ミッション系の青学とか入って、中大の臭さが中和されていたと思います。何も明大の事を悪く言うつもりはありませんが、タイプ的に似かっよった大学が提携しても、相乗効果は生まれないと思います。
 最後に、人生の時間割の後半に突入した学友達に、心身共に健康で幸ある人生であれとの言葉を残し、筆を止めます。 平成十六年四月十八日午後四時三十分 板橋区常盤台図書館三階 自習室にて。
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2004年5月20日 T.M氏
記念すべきメール第一号
 
更新しないHP、何人集まっているのか判らない状況では、加入したいとは思わないのではないでしょうか。 でも、頑張ってください。私は違ういくつかの学員会に加入しておりますので、残念ながら去年のホームカミングデー及び今年の観桜会の活動を横目で観ておりましただけで、加入意思も無いのですが、同期の活動を 勝手に見守りたいと思います。 (失礼致しました。)
★返信メール
 ご指摘ありがとうございます。HP更新は近日中に行いたいと思います。月1回程度の会合で、モタモタと参加人員の集約等を行っていますので、担当と確認し公開していきます。 なお、貴殿が記念すべきメール第一号です。このメールを、HPに掲載してもよろしいでしょうか。事務局・中川順一
★そして返信
批判のメールですので、申し訳ございませんが、一号メールなら喜んで載せてくださ い。 私も幹事の依頼がありましたが、 多々事情により丁重にお断りしました。 中川さんごめんなさいね。
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2004年1月25日 中川 順一(文学部国文学専攻卒)
会の目的はできてから考える?
 
箱根駅伝であわやシード権喪失かとひやひやした年明け、国文の同窓の小暮睦美さん(旧姓・椎原)さんから電話があって、「同窓会の準備をしているのだが、人が足りないので手伝って欲しい」云々の電話をもらいました。要領を得ぬまま昨日会合に出向くと、同じ国文で、石川県で高校教師をしている宮本裕之くんも、同じように要領を得ぬまま、職員会議終了後に新幹線を使ってやってきていました。
  会合の内容は「白門58会(仮称)設立準備をするので、入会申込書を集めよう」ということ。集まった人数は、昭和58年卒と、53年卒各10名程度。で、そこでの中川の理解は、以下の通りです。例は、あくまでも「例えば」。
1.中大OB会=白門会は、全国にさまざまに存在する。例えば「鹿児島白門会」など。
2.それらは「学員会」など大学に認知されると「支部」と呼ばれる。例えば「白門会鹿児島支部」など。
3.「支部」には、地域、職業、企業単位のほか、卒業年次などの集まり「年次支部」もある。例えば「白門35年支部」など。
4.で、「学員会」=大学は、欠けている年次を埋める作業をしていて、「学員時報」等を通じて、「昭和58年卒(卒後20年)と、昭和53年卒(卒後25年)に支部を作ってくれ」と案内した。
5.それに手をあげた人が小暮さんらを呼び、彼女が宮本君や中川を呼んだ。
6.支部を作るには、各年次100名以上の参加(入会)申込書が必要。
 では、なぜ、昭和58年卒の白門会支部を作るのか? 何が「目的」なのか?
 このあたりは、昨夜の会合では、中川はとうとう要領を得ませんでした。しつこく小理屈を言っていた中川は、小暮さんを困らせ、同席した5年先輩に叱られました。とにかくおもしろそうだから作ろう。そこで何をするかは「できてから考えよう」ということのようです。
 で、中川も協力することにしました。おもしろそうだから。昔から、こういうこと、好きだし。やっていれば母校の情報も入る。目的と理由は、後から僕なりに考えます。 世話人のメンバーは小暮さんをはじめ、まじめで熱心な方々ばかりなのに、「目的は何なんだよ?」といって不愉快にさせた中川としては、せめてものお詫びに、勧誘のノルマを引き受けました。以上をご理解いただき、ご協力をお願いします。寒さ厳しき折、ご自愛ください。
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●白門58会通信
なつかしの何となくクリスタル的カレッジディズ

記念すべきメール第一号

会の目的はできてから考える?

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9月25日バーベキューパーティー報告


10月24日第15回ホームカミングデーご報告

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制作・運営/白門58会(仮称)結成準備会
※中央大学関係者写真は大学ホームページから借用しています